2010年7月3日土曜日

交流会の感想

 梅雨の候、皆様にはお健やかにお過ごしのことと存じます。
 日頃、ご家庭、園、学校で親しんで下さっています「ほるぷこども図書館」は「国民読書年」を迎えられた今年で43年、400万を超える読者達に支えられ、読み聞かせをしてもらった世代が、現在では親、祖父母として、子どもや孫たちに読み聞かせを楽しんでいらっしゃいます。
 ところで今年5月23日、あいにく土砂降りの日でしたが、京都市内で第3回「フレデリックとなかまたち」の交流会を催しました。その時、とても感動した事がありましたので、ここにお伝え致します。
 会も終盤に差し掛かった時、あるお母さんから「本は大好きな子たちですが、最近、上の娘(2年生)の周りでは、例にもれず、ほとんどの子がゲームを持っているので、ゲームを欲しがる。私達夫婦は与えたくなのですが、どうしたら良いのでしょうか?」という質問がありました。
 それに対して、3歳半の息子さんとご参加下さったお父さんが、次のように力強く語って下さいました。

 「今、私は34才ですが、自分自身も幼い頃、父親がとても厳しく、テレビも規制されていましたし、「ゲーム」は絶対買わないと、買ってもらえなかった。その当時は、それがとても不満だったが、結局たまに、友達の家でやらせてもらう位で、あまりうまく出来ず、その内ゲームから関心が薄れていき、無くてもよいと思うようになった。
 今、思うとそれがとても良かった。
 ですから、今、我が家ではテレビもほとんど見せていませんし、今後ゲームは絶対与えようとは思いません。その代わり、毎晩私は、必ず絵本を3冊読んでいます。」
 
 私は、拍手を送り、声援したい気持ちでいっぱいになりました。
そしてその後、息子さんの好きな絵本「まほうのえのぐ」(うさぎコース)を1冊、私たちに読み聞かせをして下さいました。
 こうしてご自身の体験を通して得た、貴重なご意見を力説して下さったお姿を見て、とても感動致しました。
 この後日、下のお子様がご病気の為、欠席なさった奥様に、電話でこのお父さんのご職業をお尋ねしたところ「脳外科の医者です」というご返事。納得致しました。
 
 今の時代、子どもとゲーム、メール、ネットは、親にとって避けて通れない問題です。
IT社会が抱える″言葉と心の危機″早くから警鐘を鳴らしてきたノンフィクション作家の柳田邦男氏は、次のように語っています。
 
 「世の中が便利になり、テレビ、ゲーム、携帯電話などはごく普通に家庭に浸透し、家族が肉声で会話することが少なくなった。親子の関係においても、人間関係が非常に希薄になった。
 テレビ、ビデオで子育ては出来ない。
 母親が包み込むような愛情が、子どもの人格の形成には必要である。その母親の包み込むような愛情表現として、また、心のふるさと作りとして、絵本の読み聞かせをたっぷりと!」

mixiにも「ほるぷ読書推進センター」のコミュニティを設けてあります。
皆様どしどし、ご参加ください。

2009年7月9日木曜日

「確かな学力」を支える「言葉の力」

うれしいニュースと嘆きの現実
 10月7日にノーベル物理学賞3名、翌8日にノーベル化学賞1名の日本人受賞が発表されました。
 アメリカ発の不況風が吹き荒れるなか、麻生首相は「こんなに明るいニュースは久しぶりです。・・・」と祝福。しかし彼らは、「どんな小さなことでも自分で何かを見つけること」「これだと思うことは失敗してもやり続けること」「興味があることだったら、どんどんやってやり遂げなさい。」と私たちにエールを送りながらも、「目先の見える成果だけではなく基礎を重視する社会になって欲しい」「共通一次については○×、選択形式ではない、考えさせる入試問題にしてほしい」と国に注文し、「近頃は、はじめから難しそうとやらない人がいる。難しくてもやる勇気がない」と若者に苦言を呈していました。
 このような世界に誇れるニュースに接するたびに、感動と共感、そして努力の積み重ねに敬意を表するのですが、現実の幼児教育に目を向けると、早期教育のさらなる早期化、行き過ぎた早期教育がはびこっていることがとても気になります。例えば、幼児がテレビに出演して信じられないほどの能力を発揮して「この子は天才だ」と放映する番組があります。この類の番組は、今に始まったものではありませんが、この子たちが大成したという報道は全く耳にしません。それはそうなっていないからです。
 ノーベル賞をはじめとする大成した方に子ども時代のことを訪ねると「母のこと」と「遊びほうけていたこと」ばかりです。

つくられる「気になる子」
 「新たな幼児教育バッシングが起こるのでは」と前述しましたが、それは子どもがまっとうに育っていないことを意味します。以下のことがあるからです。
 世の中を見ると「気になる子」が増えています。「気になる親」も増えています。これは、私も含めた爺婆世代が今の親世代を育てた子育て、教育の結果であり、まさに連鎖です。世の中がおかしくなると、二世代後には取り返しのつかないことが起こる、そんな感じがします。
 私は以前より「子育てを通して″気になる子″を作っている」と言っています。「気になる子」を作る行為には、「作為の誤った子育て」、「不作為の誤った子育て」があると思います。「作為の誤った子育て」とは、やらなくてもいいいこと、手を加えなくてもいいことにことさら手を加えること、「不作為の誤った子育て」とは、やるべきことを手抜きすること、あるいは、それを知らない、身につけていない、ということです。

作為の誤った子育て
 作為の誤った子育ての代表格は、早期教育の早期化、超早期教育だと思います。
 日本での早期教育は、ソニー創業者、故・井深大氏の1971年に発表された『幼稚園では遅すぎる』が始まると言われています。井深氏はその後『幼児開発協会』を設立し、「子どもの大脳細胞は3歳までに出来上がるからそれまでに教え込め」と様々な実験的早期教育を行いました。しかし1980年代後半から早期教育を受けている幼児に問題が起きるケースが多いことがわかり、その弊害が表面化してきました。そして、井深氏はその考えが誤りであったことを公表しました。その中身の一部は「いろいろやってるうちに、本当に必要なのは知的教育よりまず、『人づくり』『心の教育』だと気付いた。学校では落ちこぼれ、暴力、いじめが頻発している。『心を育てる』んは、学校教育だけではなく、母親の役割がなによりも大切であり、子どもの方も幼稚園どころか0歳児、いや胎児期から育てなければならないという考え方に変わってきた。知的教育は言葉がわかるようになってから、ゆっくりでよい、という結果になった」(朝日新聞、1990年4月29日)です。
 これについて、今は亡き遠藤豊吉先生は本誌13号(1909年9月発行)で、「私は井深さんが″幼児開発協会″をつくり、知的早期開発論を展開しはじめた時、『困ったことをおはじめになったものだ』と思いながらも、井深さんがいつか、その論を撤回しなければならぬ時がくるだろうという予感を持っておりました。あれから20年が経ちましたが、とうとう私の予感が現実となって現れる時がきたわけです。これまで井深理論に共鳴・実践してきた幼児教育者たちは、この大御所の基本的考えの撤回をどう受けとめ、今後の幼児教育をどう構想されるのか、大に注目したいところです」と記していました。
 それから18年が経過した今でも、あやしげな知的早期教育がはびこっています。『週間文春』(2008年9月18日)に早期教育が子どもの脳を破壊する~四文字熟語でひとり言、奇声を発しつづける幼児たち~」という記事が載っていました。その内容は本誌が警告を発し続けてきたことですが、大手マスコミが扱うことに、事の深刻さを感じます。
 記事の書き出しに紹介されたある親子のケースは次のようなものでした。
 生まれた直後から最近まで、幼児教育で早期教育を受けていたという3歳になったばかりの男の子が「一喜一憂、吉田松陰、高杉晋作・・・・・・」と壁に向かって一心不乱に念仏のようにつぶやきだした。母親によると、教室では絵や感じに書かれているフラッシュカードを0.5秒に1枚の速さで次々と見せていく。大量のカードを次々と見せることで、子どもの右脳が活性化するという説明でした。でも、3歳になる頃から壁に向かってひとり言をいうようになり、その中身はフラッシュカードのものばかり。目の焦点が合わない。生気もない。笑わなくなった。
 このような現象は、テレビに話しかけても応答してくれない、テレビ子育てと同じ弊害です。フラッシュカードを次々と見せても、所詮、一方通行。そんな幼児教室がたくさんあります。「子どもに見せる一方通行の映像・フラッシュカード=要注意」と思った方がいいと思います。
 核家族化が進み、地域社会との疎遠、子育てに悩む親が年齢・学歴に関係なく増えています。そうした育児不安が早期教育業者に狙えわえrているのです。
 新しい要領・指針には保護者への支援が謳われていますが、このような早期教育の問題点については、園として保護者にきちっと伝えて欲しいと思います。
 早期教育が危惧される理由は、次のことです。
 
・基本的信頼感や自律心などの心の発達が損なわれる危険性がある。
・目先の成果のみが強調され、子どもの思春期を見通す長期的な検討がされていない
・幼児期までの知的記憶は、親の期待と裏腹に忘れてしまうことが多い

不作為の誤った子育て
 昔から、

手をかけて
手がはなれたら目をかけて
目がはなれたら心はなすな

 という、誕生から思春期ごろをまでを見通した子育ての言い伝えがあります。
 「手をかけて」とは、子どもが誕生してからしばらくの間は、泣けばミルクをあげたり、オムツ交換をしたり、あやしたり、子どもが目覚めている間は大人が積極的に関わってあげなければならない、ということです。
 「手がはなれたら目をかけて」とは、乳児から幼児になり段々手はかからなくなると、子どもはあちらに行ったり、こちらに行ったり、大人が目をはなすとケガをしたり、とんでもないことが起こりますよ、ということです。
 「目がはなれたら心はなすな」とは、少年少女期から思春期を迎えると、子どもの活動範囲が広がり、そういう時期こそ心をはさなないように、ということです。
 私はこの言い伝えがとても好きです。
 しかし、今の子育て状況を見ると、最初の「手をかけて」という部分が欠けていると思います。そして、現代の子育ての姿を見ると「手をかけて」がちゃんとできている親は、「手がはなれたら目をかけて」も「目がはなれたら心はなすな」もできています。でも、そうではないと思われる親も多々見受けられます。
 そういう親の特徴は①あやし方を知らない、②知っていても手間のかかることが面倒、③核家族、少子化のなかで少年少女期に赤ちゃんとの接触経験がない、などの理由が考えられます。
 それは私たちが求めてきた豊かさの影の部分であり、私を含めた爺婆世代が次の世代へ知恵やスキルを伝えなかったその結果ではないかと思います。
 そして、その社会的背景としては、

(1)直線的思考の論理
(2)子育ての分断、親子関係の文壇
(3)プロセスの消去
(4)伝承の分断

があると思います。

―中略ー

 このような社会環境の中で、今の親世代が育ってきました。
 現代の親の特徴について、ノーベル賞受賞の益川氏は「今の親は教育熱心ではない。教育結果熱心である。」という言い方で批判していましたが、私は、今の親は「子育て・教育を手配する人」になっていると思っています。知らないことがあったり、困ったことがあると、自らそれを克服するのではなく、手配師になる傾向があります。そういう親にはなぜそれがいけないことのなのかを伝えなければなりません。子どもとのふれあい方、あやし方などを伝える必要があります。これも大切な保護者支援であると思います。

注目したい中教審答申
 最後に、今回の改訂(改定)にあたり、私がとても重要だと思っていること、そして幼児教育現場の先生方や幼い子どもを持つ保護者に伝えなければならないことがあります。それは、新しい指針や要領が発表される直前の2008年1月17日に公表された中央教育審議会の答申です。
 指針の説明会などでは、「ここがこう変わった。これからはこうして下さい。」などの現場への要望・要求は多いようですが、この件についてはあまり語られていないようです。
 これをマスコミは「ゆとり教育からの脱却」などと大きく報道しましたが、保育現場ではこの答申の中身については意外と知られていない気がします。
 それは「言葉の力」の育成です。
「確かな学力」を基盤とした「生きる力」の育成を目指し、この「確かな学力」を支えるものこそが、「言葉の力」であり、全ての教育活動において「言葉の力」の育成を念頭に置かねばならない、と梶田叡一(中教審教育課程部会長・兵庫教育大学学長)は述べています。

「言葉の力」には家庭の役割が大きい
 その詳細については拙著『言葉の力が子どもを育てる』をご覧いただきたいのですが、梶田氏は「言葉の力」を育てるためには、「家庭の役割が大きい」、幼児期に母親などから自然な状態で習得する「母語の力」の重要性を以下のように述べています。
 「言葉(母語)の力」こそが、各人の認識を、思考を、判断を支えるものであり、そうした基盤の上にたって初めて言葉が相互の伝え合いの力ともなるのである。「確かな学力」が「言葉の力」を基盤とするというのは、まさにこの意味からであると言ってよい。
 リンネが人間に付けた学名は「ホモ・サピエンス(知性人)」であった。人間をまさに人間たらしめているサピエンス(知性)の土台を担うものこそ「言葉(母語)の力であると言っていいのである。「言葉の力」の持つこうした根源的意義についての理解を深めつつ、新しい学習指導要領に向けて提起されているところを受けとめていきたいものである。
 本誌創刊以来、一貫して「読み聞かせ」の大切さを訴えてきましたが、梶田氏がいうこのことは、本誌が主張してきたことと合致します。
 母語とは、幼いときに母親などから自然な状態で習得する言語です。しかし、自然な状態で幼子に語れる親は少なくなりました。園でも実践して欲しい、家庭にもそれをすすめて欲しい。その積み重ねが子どもの基本的信頼感の獲得につながり、「言葉の力」が身につき、その積み重ねの結果が「学力」「コミュニケーション力」などにつながっていくのです。
 子育て・教育の原点は肉声にあるということが、広くいきわたることを願ってやみません。
げんき編集長 新開英二
 

2008年9月28日日曜日

子どもと絵本の出会い~心に届く魔法の言葉

 2008年7月18日、京都ひと、まち、交流館にて「フレデリックとなかまたちの会」に梓加依先生をお招きし、有意義なお話を聴くことが出来ました。
 以下にまとめましたので、ご覧になって下さい。

 恵まれているようでストレスを感じているのが今のお母さんだと思う。幼児期の絵本がなぜ必要なのか話したいとおっしゃって、幼児期病弱だったため友達が本だった、そして専業主婦の時代に文庫活動をしていたことなど、ご自身の体験から話し始められました。
 
 40年前に文庫活動が盛んだったのは、テレビが普及し始めて読書をしなくなった頃で、今日につながっていると思う。今の30代の人は生まれた頃から機械化の中で(コミュニケーションでも)育っている。社会の中でさまざまな問題点が起きているが、これらをしっかりとらえて、各家庭でよりよく、良い形で育てていけるかが問題だと思う。読書といってもすべてが良いわけではない。情報の取り方による。
 今は脳医学の発達で色んなことがわかってきた。脳医学で「テクノストレス症候群」といわれているが(テクノ依存症、テクノ不安症)、脳が発達していない子どもほど、長い間映像(テレビ、ビデオ、ゲーム機器、パソコンなど)に接触していると疲労がすごく、脳が萎縮すると言われている。
 1箇所しか使わないと(脳の部分)壊れてくるそうだ。また、小学生でも緑内障(視野が狭くなる)になる子どもが増えている。脳がきちんと発達するのが13才くらいといわれているのに、1日2時間もゲームをしている状態では、脳が萎縮してしまい認知症と同じようになってしまう。
 小学校時代からインターネットは必要ないと思う。検索の仕方で脳の発達が違ってくるようだが、実際に本を手に持って重さを感じながらページをめくる動作がとても大事だと思う。3歳までは五感をすべて使う事が後々、とても大事になってくる。
 心の成長の中で読書は大きな影響を与える。そして文字を読まなくなると学力も低下する。(理解できない・表現できない・話せない)。日本の子どもは自分の意見を言い、相手の意見を聞き、どこが違うかをすり合わせる作業がとかく苦手。映像と読書の違いは、中身を感じるのは同じかもしれないが、機械の中から出てくる光そのものが悪いのと「読書」という本が存在すること自体が、いいと思う。
 つまり、本を読む動作そのものが、手を使ったり、本の重さを感じたり、体の全てを感じながら、行うことだから。

 今はもっと、お腹にいる時から、お母さんが関わってあげて欲しい。言葉の脳は感情とつながっていて、赤ちゃんを見て話しかけると、大体の人は柔らかい声になる(アルファ波が出る)。日本の楽器の中にはアルファ波があるものが多く、心が癒されるといえる。
 アメリカでは知的障害や、色んな障害を持つ子どもに、治療として読み聞かせをしていると聞いた。実際の読み聞かせとビデオによるものとでは、脳の動きは全く違う。
 読み聞かせとは、読んでくれている人との信頼関係と、共有している時間が大切で、子どもたちは好きな人、大切な人を同時に感じているのだ。日常のなかで、心豊かにして、人と人を大切にして生きていく力になればいい。
 ただ、与えられるだけでなく、親も読んで楽しいと感じる本を、子どもに聞かせる前に3度くらいは読んでみるといい。子どもは読んでくれるお母さん、お父さんが好きなのだ。親だからこそ、手渡せる良い本を子どもに伝えて欲しい。その点では、ほるぷ選定の本はとても良いものだと思う。
 幼児期に絵本を読んでもらった記憶のある子(子守唄でもよい)感情の回帰といって、非行を起こしても100%更生するそうである。
 

2008年4月26日土曜日

どの子も天まで伸びる

 大変ご無沙汰しており申しわけありません。

 4/12、佐賀県の保育所で、三輪睦雄先生の「どの子も天まで伸びる」という題の講演があり、聴講した者がまとめましたのを、お伝えします。

 38年間現場で子どもと接していきたいと思って小学校教師をしていた。現在は横浜中央相談所に非常勤講師として中学生、高校生に勉強を教えに行っている。
 相談所は3歳から18歳までの(児童虐待、ネグレスト、非行)子ども達を一時預かりとしている施設。
長く教員をしていて、自分の授業は受けてくれるものだとばかり思っていたが、彼らには通用しない。そんな子ども達に助けられながら自分は育てられているとの実感を強く感じている。

 子育てにも共通することとして「み・は・ほ」の精神が大事です。
み・みとめる。は・はげます。ほ・ほめる。どんな子も一人ひとり大切に育てたい。
 ついつい子どもを追い立てていないだろうか。
 子どものいいところより、悪いところの方が目に付く親が多い実情。非行をした子が暴れて何とかしてと言われて、その子と向かい合ったとき、自分のいいところを10箇所書けたら許してやるといったら、びっくりした顔をした。
 保護所にいる子どもは圧倒的に叱られて育ってきたか、問題を抱えている子どもたち。10箇所書き終わった頃に、子どもの目が輝いてきた。

 教師として子どもと関わっていく中で、2つの柱を考えながら授業をしてきた。頭(わかりやすく楽しい授業)とココロ(優しい子、思いやりのある子にしたい)、を考えて子どもたちと接してきた。
 孔子が人間を育てることでだいじなことは?の問いかけに敬(人を思いやる心)と答えたそうだ。
友と遊び、体験しながら優しさが身についていく。それを育てるのが言葉で、絵本の読み聞かせが、大切になってくる。いろんなことをしたいだろうが、抱きしめて、夜は絵本を読んで欲しい。つまり、わが子を丸ごと受け止めて欲しい。子どもが幼稚園、保育園時代は積極的に教えることはないが、質問されたら、答えられる親であって欲しい。
 したい、知りたい、と思ったらぐんぐん伸びるのが子どもだから。実践を通して、どの子も天まで伸びると結論を見た。今の子供たちは発展途上人で、人間は学びながら成長していく。つまり人間は2つの特徴をもって生まれてくる。

○ 生理的早産・・人間の子どもは唯一未熟のまま生まれてくる。這って立ち上がっていく過程が大事、ゆっくり、じっくり育てて欲しい。
○ 思春期・・その間に反抗期も通り、成長するのに20年かかる。

 幼児期の特徴は言語で、この時期言葉のシャワーを浴びせることが大事である、と多くの方が言っている。
 子どもの感性を育ててあげて欲しい、その媒体として絵本を読んで欲しい。造形活動も育てたい。おもちゃにも主食と副食があることを知って欲しい。日本はアニメのグッズが売り出されて、親はそれらを子どもに与えているが、子どもが儲けの対象になっているのを、なんとも思わない国だと思う。
 子育ては、金かけないで、愛かけて・と言われている。かこさとし作。
「人間」という絵本は、かこさんが17年かけて人間のことを詳しく書いた絵本だ。その本の中で、かこさんは人間は文化芸術を発展させた、と言っている。科学的に成長するのに20年かかる我が子を、信じて待てる親になって欲しい。

 こどものこころの5つの特徴
○ 積極的存在・・何かをしたくて、仕方ない。おとなしくしている子は本来の人間の姿でない。大人にとって、いい子とは?

○ 未来に向かって生きている。

○ 自信家である。

○ 仲間を求めずにいられない。

○ 個性的存在。

大人が気をつけたいこと

○ 反省ばかりさせない。指示命令、脅迫・脅し型、尋問・質問、侮辱、侮り型(子どもは大人が思っている以上に自尊心を持っている)説教型。

大人の役割としては

○ あたたかい過程と家族・オリジナルを大切に・父親、母親の役割。

○ 遊び・遊びは成長の糧である。動くことで身体と運動能力が上がる。
  仲良く遊ぶことで、社会性が身につく。我慢をすることで、我がままがいけない、と理解し、精神的に安定する。自ら遊ぶことにより、自発性が育つ。
 創造力がつくことにより、知的能力が上がる。3人以上の集団で戸外、自然に触れて自由にたくさんのものに触れ、感受性豊かな幼児期を送らせたい。
 与えられた遊びからは、創造力は生まれない。
○ 読書する環境を親が作る。テレビは一方通行である。読書は学力の土台になる。その為に、幼児期は親が絵本をしっかり読んであげて欲しい。塾~やる時間と金があれば、読書に注ごう。
○ しっかりしつけ 生活のリズム・「食事」「早寝、早起き、朝ごはん」
 思いやりを育てる・困っていたら助ける・友の喜ぶことを損得なしで、喜べる。

心の構えとして
 子どもの目線で共感出来る大人
 子育てはゆっくり、じっくり。子どもと向き合っていると、切れる時もあるが、その回数を減らそう。叱らないしつけを心がける・プラス思考で、抱きしめて、甘えさせて育てよう。(甘やかすのとは違う。)
 甘やかすことは、過保護、過干渉という。
 子どもを育ててやるのではなく、親が子どもと一緒に育つことだと思う。又、目と目を合わせて抱き合う動物は、人間とチンパンジーだけと言われている。そして思春期の時、困った時は、相談できる仲間が周りにいるといい。
 親が子どもを通して、友達関係に繋いで行けば、いざという時にお互いに協力し合える。我々は、金持ちになれないが、人持ちになれる。
 子育ては、プラス思考で、子どもを信じて待つ!ことです。


三輪睦雄先生プロフィール
1946年 大分生まれ 宮崎大学学芸学部卒
2006年 横浜市立永田台小学校を最後に退職
      小学校教諭、38年間勤務の後
      現在、横浜市中央児童相談所勤務
      学童全国大会の講師を歴任

2007年3月16日金曜日

おおかみと七ひきのこやぎ



 かつて昔話は昔語りと言われていた様に、一日の仕事を終えた大人たちにより、いろりばたに集まった子どもらに語られてきました。外の真っ暗闇や焚き火の炎が、子どもたちの想像力をいっそうかきたてました。今日ではそのような生活から遠ざかってしまいましたが、それでも子どもたちは昔話を好んで聞きます。私が保育園に勤めていた頃、物語りというものに興味を示し始めた2歳児たちが、「三びきのやぎのがらがらどん」にくいいるような眼差しを向けてきたのが今も忘れられません。現在は地元の小学校で語ることを続けていますが、小学生たちも日本の昔話やグリムの昔話に喜んで聞き入ります。昔話には、子どもを引きつける不思議な力があるようです。それは何なのでしょうか。
 スイスの画家、フェリクス・ホフマンによる「おおかみと七ひきのこやぎ」は幼い子どもたちに根強い人気のあるすぐれた絵本です。この絵本の誕生には、とても興味深いエピソードがあります。4人の子どもの父親であったホフマンは、病気になった2歳の娘を慰めるために「おおかみと七ひきのこやぎ」のお話を語り、毎日お話に合わせて絵を2枚描いて家に持って帰ってきたそうです。これが後に偉大な絵本作家への第一歩となったのです。父親からのなんと素晴らしい贈り物でしょうか。今回はこの「おおかみと七ひきのこやぎ」をとりあげ、子どもと昔話について考えてみたいと思います。
 まずはじめのページでは、広い草場にお母さんヤギだけがエプロンをして二本足で立っています。立つことで子ヤギたちをしっかり見守り、大切に育てていることが伝わってきます。次にお母さんは食べ物をさがしに出かけるため、子ヤギたちにオオカミに気をつけるようにと注意します。それもそのオオカミは声がしわがれていることと足の黒いことで見分けがつくと具体的に教えています。この明解な語り口が聞き手の心をひきつけ、オオカミがくることを予測させます。絵を見ると一番前でお母さんを見上げて真剣に聞いている子ヤギがいます(実はこの一匹だけが助かります。)
 お話の方は一直線に進み、オオカミがやってきて「あけておくれ、おかあさんだよ」と言います。この時、聞き手の子どもはまるで自分の予想が当たったかのように思い、物語にいっそう引きこまれていきます。昔話ではこの先何が起こるかを警告や禁止、予言などの形で前もって語っておく事がよくあります。これは昔話の特徴として「先取り」、と言われていますが、この先取りにより子ども達は注意をそらさず、お話を最後まで楽しむことができるのでしょう。また、オオカミは、はくぼくを食べたり、足を白くして三度くりかえしやってきます。子どもは繰り返しを喜びますが、このくりかえしも話を辿りやすくさせ、次に起こる出来事への期待をふくらませます。オオカミが雑貨屋に行ったり粉屋に行ったりする場面は、写実とファンタジーを混じり合わせ見事に描かれています。同じような例は、ウクライナ民話「てぶくろ」(ひよこコース収録)にも見られます。動物たちが着ている民族衣装は写実的ですが、キツネやオオカミまで入れるてぶくろはファンタジーの世界です。さて、オオカミがやって来る度に聞き手のハラハラ、ドキドキは高まり、ついに子ヤギたちはオオカミに食べられてしまいます。けれども少しも血が流れたとは語っていません。これも昔話に共通しており、昔話を残酷だと言うのは見当違いで、むしろこの急激な場面展開による精神の高揚こそ、子どもが昔話に求めているものだと思います。七匹目の子ヤギだけ生き残っていたことで、また物語は急展開します。お母さんがオオカミのおなかを切り開いて六匹の子ヤギを助け出し、石をつめて縫い合わせるまでのなんと手早いこと。まるで切り紙細工のようです。目をさましたオオカミを窓の中から息を殺して見ているヤギたちは、聞き手の子どもでもあると言えるでしょう。当然の報いとしてオオカミは溺れ死に、ヤギたちは喜びのあまり回りで踊りを踊る程でした。弱い命を守ってくれたなんと頼もしいお母さんでしょうか。生命のドラマをお話で体験した子どもたちも、これで満足し安心して眠れるのです。それを物語る最後の絵から、ホフマンの並々ならぬ子どもへの理解と愛情が伝わってきます。
 このようにみてきますと昔話を子どもが喜ぶのは、勿論お話の面白さにあるのですが、昔話特有の語り口が子どもをお話に引きつける大切な要素になっていることがわかります。物語への想像力や推察力が子どもの精神活動を活発にさせ、これが心の成長をもたらすのでしょう。日本や世界の昔話には、その国の文化や人間の生き方のあらゆる姿が豊かに語られています。そうした世界を物語をとおして体験することは、生きる力を養います。それはやがて昔話年令を通り過ぎても、新たな読書の喜びへと導き、どんなときも希望をもって誠実に生きることを励まし続けてくれることでしょう。

松野正子先生講演会


 今年は暖冬で、梅の花の開花も随分早かったですが、例年のスギ花粉飛散も、約1ヶ月位早く、私は今外出の折、マスクとつばの広い防止は欠かせないアイテムです。
 皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 さて、3月4日(日)茨木市の図書館で、絵本作家の松野正子先生の「本と子どもの幸せな出会いを」と題した講演会を聴く機会を得ました。この先生の作品は「こども図書館」の中では「こぎつねコンとこだぬきポン」(うさぎコース収録)と「ふしぎなたけのこ」(こじかコース収録)の2作品です。
 まず「ふしぎなたけのこ」を風邪を引いた後遺症として、ひどい、又辛そうな声で作者ご自身が目の前で読んでくださいましたが、とても楽しい気分になりました。
 そしてこの時、私はあることを思い出していました。
 それは3年位前、吹田市の戸田様(ご長女が2歳の時全コースをお届けした方)が、おっしゃったのですが、戸田様ご自身はこの本をあまり、お好みで無かったそうです。ところが、ある日、吹田市の図書館主催の講演会で、この本を松野先生ご自身の読み聞かせで聞き、とても楽しかったので、その夜、2人のお子さんに初めて読み聞かせしたそうです。そうしたら、4歳のお子さんの大好きな本の1冊となり、その後、何回も読んで、と持ってくる本となったそうです。
 私も時々、この本を幼児(4歳位)から、小学生に読み聞かせしますが、見開きいっぱいに描かれた、たけのこがぐんぐん伸びていく壮大な絵は子どもたちを圧倒しますし、驚喜する、ほとんどの子ども達の愛読書となる本です。
 又、幼い子どもの時間は、限られているので、良い物語と出会うことはとても大切。子どもは良い本と出会って心が育つ、そして人を物を、又、世界を見る眼が変わるし、豊かになる。
 そして、子どもの中には、良い本と良い出会いをすると、子どもの中にある良いものに感応する力が育つ。ですから、子どもの傍らにいる大人がその出会いを助けてやる事が大切だし、私達大人が良い本を沢山知る事、たのしむことが、必要だとおっしゃいました。
 又、変わらぬもの、又変えてはいけないものが2つある。それは
①子どもは、可愛がられなくてはいけない。
②人間の子どもは、人間にしか出来ない事ですが、言葉でたっぷりと可愛いがられて欲しい。毎日の生活の中で、いっぱいの言葉をかけてやること。
 愛を込めて、心を込めて話しかける。又、子守唄、わらべ歌を歌ってやる。そうすることにより、言葉が好きになり、又、かけてくれたその人が好きになる。

 という、とても楽しく有意義な2時間でした。

 次に季刊紙「げんき」に掲載された「絵本のある生活」-昔話と子どもの心の成長ー「おおかみと七匹のこやぎ」(「ほるぷこども図書館こりすコース収録」)を巡って、たけのこ文庫主宰の岡崎義子氏の文を紹介致します。